WBC優勝で日本中を沸かせた侍ジャパン。
その侍ジャパンを率いた監督が栗山英樹監督です。
栗山英樹監督とはいったいどのような経歴の人物なのでしょうか。
その経歴や学歴、今後の気になる年俸まで調べてみました!
ぜひ最後までお読みください!
栗山英樹監督の経歴は日本球界初の監督兼大学教授という二刀流だった!
病に苦しんだ現役時代から白鴎大学の教授になるまでの軌跡
兄の影響で野球を始めた栗山英樹監督は、創価高校時代に主将として活躍。
夢の甲子園の舞台には立てなかったものの、1984年にヤクルトスワローズへドラフト外入団します。
ところが、2年目の1985年にメニエール病という難病を発症してしまいます。
メニエール病とは?
メニエール病とは、体の平衡感覚をつかさどる耳の奥の“内耳”にリンパ液がたまることによって生じる病気のことです。30~50歳代で発症することが多く、発症すると耳が詰まったような違和感や軽度の聴力低下が引き起こされます。そして、体の平衡感覚に異常が起きて回るようなめまいが生じ、耳鳴りやさらなる聴力の低下が起こるようになるとされています。このような症状は通常片方の耳にのみ生じますが、もう片方の耳に発症することも多く、一度症状が治まっても再発を繰り返していく過程で聴力が徐々に低下することが特徴です。
メニエール病について | メディカルノート (medicalnote.jp)
試合中にめまいや立ち眩みに襲われることが何度もある中、プロとして活躍し続けますが、なかなか病は好転せず。
結局、1990年に現役を引退することとなりました。
病によって引退することは、野球選手としては辛い決断だったかもれませんね…。
その後、スポーツキャスターとして活躍する栗山英樹監督は、2004年に白鴎大学の助教授となります。
専門は経済学部・スポーツメディア論ということで、スポーツキャスターとして活躍していたことが助教授になるきっかけになったと考えられます。
ここから、准教授、教授と昇進していく栗山英樹監督。
現在、監督業に専念するため教授としては大学を離れていますが、白鴎大学に籍は残しているとのこと。
休職扱いになっているので、もしかすると今後、また大学に戻るかもしれませんね!
日本ハムファイターズ監督として築いた大谷翔平選手との絆とは?
2012年、日本ハムファイターズの監督に就任した栗山英樹監督。
なんと、就任一年目にリーグ優勝という快挙を成し遂げます。
当時日本ハムファイターズのエースだったダルビッシュ有投手が、メジャー移籍したことで苦戦を強いられると言われていただけに、監督としての手腕が注目されました。
そしてこの年、WBC優勝の立役者である大谷翔平選手を単独指名することになります。
当時、「日本の球界ではなくメジャーで活躍したい」という当時高校2年生だった大谷翔平選手に対し、何度も面会に訪れ30ページ以上もの資料を使って説得を続けた栗山英樹監督。
大谷翔平選手の代名詞でもある「二刀流」を提案したのも栗山英樹監督でした。
その熱意に押され、また栗山英樹監督の「誰も歩いたことのない道を歩いてほしい」という一言で、メジャー志向だった大谷翔平選手は日本ハムファイターズへの入団を決意します。
大谷翔平選手がメジャー移籍するまでの間、日本ハムファイターズで二刀流として成長させた栗山英樹監督。
大谷翔平選手がWBC出場を決めたのは、恩師・栗山英樹監督が侍ジャパンを率いるからだとも言われています。
WBC優勝には、栗山英樹監督と大谷翔平選手との絆も大きく影響していたように感じますね。
侍ジャパンを優勝へと導いた、監督の手腕と想いとは?
WBC優勝は、栗山英樹監督の現役時代の活躍と、大学教授としての知識、そして日本ハムファイターズで在任10年という歴代最長の監督経験が生み出した采配と想いで導いたものと言えるのではないでしょうか。
侍ジャパンの大きな特徴として、「キャプテンを置かない」というものがありました。
合宿初日のミーティングで「キャプテンは決めません。全員『俺がキャプテンだ』と思ったら、プレーは変わるはず。チームがジャパンじゃない。あなたがジャパンなんです。誇りと、チームを引っ張る気持ちでやって下さい。年齢も、実績も関係ない」と、伝えた。
【侍ジャパン】栗山英樹監督「キャプテンは決めません」21年東京五輪に続き主将は置かず : スポーツ報知 (hochi.news)
一人一人の気持ちと実力を信じた結果、選手たちも存分のその力を発揮できたのではないでしょうか。
WBC優勝という大きな喜びを与えてくれた栗山英樹監督の想いには頭が下がりますね!
[ad03]栗山英樹監督の学歴は国内でもトップレベルの大学出身だった!
栗山英樹監督が在籍した東京学芸大学のレベルは?
栗山英樹監督の出身大学は東京学芸大学です。
偏差値は47.5~62.5とされ、小規模の大学ではありますが国内でもレベルが高いと言われています。
東京学芸大学でも硬式野球部に入部していて、投手として活躍していました。(のちに野手に転向)
まさに文武両道だったんですね!
栗山英樹監督は小・中・高の教員免許を取得していた
大学では教育学部に在席し、保健体育学科を専攻していたそう。
将来は教員を目指し、小・中・高の教員免許を取得しました。
最終的には、夢を諦められずに野球選手への道を歩き出しましたが、大学での学びがあったからこそ、大学教授、そして侍ジャパンの監督という指導者として活躍されている姿を見ることができたと言えますね。
[ad03]栗山監督の年俸はWBC優勝で推定2億円?
WBC優勝で今後の去就が気になる!
栗山英樹監督の、侍ジャパンの監督としての任期は2023年5月までです。
今回の優勝で、栗山英樹監督の年俸は2億円になるという噂も…。
2021年、日本ハムファイターズの監督としての年俸は1億1000万ともいわれていて、今回のWBC優勝という功績を考えると倍になるかもしれないというのはすごいことですね!
今後について栗山英樹監督は、「何かの要請があれば考える」というスタンスのようです。
「まだまだ夢というかやらなければならないことにはいっぱいあります。僕はもともと教員になろうと思って大学に行った人間なんで、子どもたちに対して何かやらないといけないなというぐらいの感じしかありません。そういうふうに言って頂けるのはうれしいですけど、先のことはあんまり考えてないので」と語った。
栗山監督が今後について語る 何か要請あれば「考えます」も、自身は「とどまってはいけない」(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース
3年後のWBCで指揮を執るかも、まだ未定だと言います。
教員免許を持っていることを強みに、子どもたちに関わりながら第二の大谷翔平選手を育てるような仕事にも前向きなのかもしれませんね!
[ad03]まとめ
いかがだったでしょうか。
侍ジャパンを率い、WBC優勝という快挙を成し遂げた栗山英樹監督。
今後の日本球界、もしくは新たなスターの育成にも、ぜひその手腕を発揮してほしいですね!
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント